民主主義と当事者

民主主義はやっぱり最高の政治制度であるという本を読み、政治とはある範囲の人びと全員を拘束してしまうことがらを決めることだと書いてありました。

 国家運営とかを決める政治以外にもクラスで文化祭などのイベントで何をやるかを決めたり、友達と何をするかをきめたり、会社での決定なども政治であり、こういうのをミクロの政治というらしいです。

自分はこういう考え方は面白いと思います。こういうミクロな政治には多くの人間も関わっていると思います。また、国家運営などのマクロな政治もこのミクロな政治と同じ原理で動いているのではないでしょうか。

民主主義では集団の構成員がその集団の決定に関わることが出来ます。

多数者の専制が危惧されていますが自分は正直そういうものについてはあまり危機感というものは持っていません。

そういうこと言っているけど自分の言うことが通らない僻みではないのか?それなら少数の人間の言うことが正しいのか?と思ってしまいます。

自分は民主主義で気を付けるべきことは構成員全員が参加することができるけど立場の違いをどう配慮するか?だと思います

例えば今日の晩ご飯を何にするかを民主主義的にみんなで決められたらイヤです。

なぜならその決定には関係のない人間が関わっているからです。

今日の晩御飯をみんなが決めても、そのみんながその晩御飯を食べるわけではありません。自分が晩御飯で何を食べるか決めることが出来るのはそれを実際に自分で食べるというリスクを背負っているからです。

政治ではその決定に対して生活というリスクを背負っています。

しかし、国というのは規模がとても大きく、どの決定が誰にどれだけのリスクを背負わせているかが解りにくいです。

ある案件に対して人は何らかの関係で巻き込まれています。

例えば人が誰かについて言及した時、言及された人間はその言及した人間に巻き込まれています。

巻き込まれ方によって立場は異なってきますが、その巻き込まれ方というのがなかなか解りにくいです。一見関係ないように思える人間でも間接的に巻き込まれていることもあり、更にその時の事情によっても変わってきます。

ある事態が発生した時、その関係からどの人間をどういう基準で立場を決定しどの立場の人間を尊重するべきか?を考えるべきだと自分は思います。