規範の予期理論

ハートが法(規範)を他人に共有されたルールから集合主義的接近で見つけようとしましたがこれと別の個体主義的接近から見つけようとする議論があります。

この方法から導こうとするタルコット・パーソンズニクラス・ルーマンの主張に焦点を当ててみます。

パーソンズはトマス・ホッブズの考えた、社会に秩序があるのはなぜか?という秩序問題を考えました。ホッブズリヴァイアサンという本では人々はすごい利己的で自然状態では自分の利益のためなら罪を犯したり、人を裏切ったりして万人の万人に対する戦いに至ってしまうのですが、人民が主権を国家に渡し、国家の法に従うことによって争いを回避できると考えました。

しかし、この秩序が長く維持されるためには規範的な要素が機能しなければならないはずなのにホッブズには規範的思考が欠如していると考え、ホッブズの利害によって人の行動が決まというる功利主義的な基板の考えからでは秩序問題は解決されませんでした。

パーソンズは相互行為する二者関係から規範が成立することを論証しました。

パーソンズは二人の人間関係で相手がどのように振る舞うかはお互いに解らない二重の不確実性(ダブルコンティンジェンシー)が成立しています。

パーソンズはこの問題を両者の間にあらかじめ価値観が存在していてお互いが相手が自分に対してどのように振る舞うのかについての期待を自分が予期できている程度には価値観(規範)を共有できている(期待の相互性)ことによって解決できると考えました。

しかし、ルーマンはパーソンズの秩序問題に対する解決を不十分だとみなしました。

ルーマンは他者の行為は規定の事実として予期することはできず、複数ある選択肢の中からの選択として予期できなければならず、他者の予期も予期できなければならないと指摘し、パーソンズの予期の相互補完性は行動の同調性で、予期の予期が外れる危険性を見過ごし、そこから生じる対立や亀裂が見過ごされてしまい、この対立や亀裂に対してこそ規範が機能を持つのであるのに。

実際パーソンズの社会観は社会の鋳型を人間に当てはめた社会化過剰的人間観だと非難されたり、対立や葛藤は社会の不可欠要素だという立場から、社会から与えられた役割にあうように演じるだけの存在ホモ・ソシオロジクスとよばれ、非難されました。

パーソンズの予期理論はルーマンと比べて予期し、予期されるものという人間像の、予期されるものという側面にあまり触れていない気がします。

単純に対象を予期する場合と対象を予期するものがどうように対象から予期されるものである場合、その予期は異なってきます

ルーマンの予期理論では人間の行為には複数の選択肢(可能性)が存在し、その中から実際に体験するのは一つだけであることから人間は常に複雑性に直面します。複雑性とは現実化される以上の可能性を持つことです。

そして世界には他者が存在し、このことによって初めて複雑性と不確定性が形成されることになります。

1人の人間がどう行為するか?という場合、単一の不確定性のみでしかもその行為者自身はどのような選択をするのかを決める事ができますが、他者が存在する場合1人の人間とくらべてはるかに複雑になり、予期の予期を考える必要があります。