ゲームの内と外

ハートは法体系が実際に存在するかどうか?を決めるのに事実として人々がその宣言したルールに従っているかどうか?公機関がその2次ルールを守っているのかどうか?この2つの条件によって決まるといいました。

つまりハートはそのルールが存在しているかどうか?を法体系の外から見た時に事実として確認できるかどうかによって捉えようとしたのです。

例えばあるルールが存在し、それが妥当であるかどうか?は法体系の内部からつまり承認のルールに従っているかどうか?から導くことは出来ますが、法体系そのものの存在は法体系の内側からは証明することが出来ず、事実として人々がルールに従っているかどうかからしか判断することは出来ないのです。

ハートはこの法体系の外部からの視点(外的視点)を導入し外的視点からは事実があり、法体系の内部(内的視点)には従うべき規範があります。

つまりハートは(外的視点)事実=(内的視点)規範という二重性を強調しました

あるルールが存在するとします。そのルールの正当性を保証する承認のルールが存在し、そのルールは承認のルールの規範に従い内側にいても承認のルール自体はそのルールから自由でルールの外側に存在します。しかしその承認のルールもその正当性を与える別の承認のルールに従っていて内側にいることになります。この承認のルールの正当性を問題にすればその二次的ルールからは外の視点に立つことが出来ます。が、それは新しい承認のルールの内側のみで問題になります。そして正当性を巡ってたどっていくと最後にはこれ以上正当性を保証することができない究極の承認のルールにたどり着きます。

人は法体系のルールにしたがっている(内的視点にいる)限りでは法体系の外部に出ることは出来ません。

法体系には人間を法体系の内部の視点に止めようとする内閉の性質をもっているのです。