言語ゲームと社会理論2 ハート

ハーバート・ハートという人は法の概念という本を書きました

言語ゲームと社会理論の著者はハートの法理論はヴィトゲンシュタイン言語ゲームと考えが似ていると考えました。

ハートの考えに一次的ルールと二次的ルールというものがあるのですが、ルールと言語ゲームの関連性について考えてみたいと思います。

言語ゲームというのは人間のふるまい一般のことです。トランプゲームのような勝負のつくゲームも言語ゲームですがそれ以外にも道徳や数学など勝負の付かないものも言語ゲームです。

これらには全部ルールというものがあります。トランプゲームでも数学でも道徳でも0で割ってはいけないとか~はしてはいけないとか。そしてこれらのルールに従う事によって言語ゲームというものは成り立っています。

逆に人間のふるまいでルールが存在し、それに従うのは言語ゲームです。

つまり言語ゲームにはルールが存在し、ルールに従うということは言語ゲームであるということです。

ハートは法の概念という本で法とは一次的ルールと二次的ルールの結合であるというふうに考えました。

一次的ルールとは責務を課すルールで、ある不都合が起こった場合に誰の行為によって不都合が起こったのかを追求しその人間に責務を課します。

二次的ルールとは(そのルールに正当性を得るためのルール)承認のルール、(ルールを変更するときのルール)変更のルール、(それがルールに反しているかいないかを判断する)裁定のルールのことです。

一次的ルールと二次的ルールの結合とはどういうことでしょう?

結合とは言及するということです。

つまりこれがルールであると宣言することによって一次的ルールと二次的ルールを結合させるということです。

一次的ルールについてはルールについての言及がなくても暗黙の了解で~に責任を課すべきだとなります。

しかし、二次的ルールでは言語を使わなければ、ルールを承認することも、変更することも、裁定することも出来ません。

つまり言及することによって暗黙のルールから明示的なルールへと変わります。

ちなみに一次的ルールと二次的ルールは相対的なものです。

ある一次的ルールがあり、それの(正当性を得るための承認のルール)二次的ルールと言うものがあるのですが、ならその(正当性を得るための承認のルール)二次的ルールが正当であるという保証はどのようにして得るのか?その時はその二次的ルールを一次的ルールとして考え、そのルールを保証している二次的ルールというものが存在しているのです。

つまり承認のルールが正当であると保証する承認のルールが存在する訳です

そしてルールの正当性をどのようにして得るのかを考えていくと

一次的ルール←二次的ルール(一次的ルール)←二次的ルール(一次的ルール)・・・

という風にキリが無いです

ヴィトゲンシュタインが数学や論理学の正当性を巡って

命題←根拠(命題)←根拠(命題)←根拠(命題)

という泥沼にはまっていったことと同じことがハートの法理論の展開でも起こってしまいます。

ヴィトゲンシュタインは最終的にこれ以上しめせない根拠にまでたどり着き結局その根拠は自らの正当性を示すことが出来ないが、人々はそれを根拠として承認することによって言語ゲームは言語が世界と調和するという保証は必要はなく人々が言語と世界とを調和するものとして営むものだと言う風に結論を出しましたが、ハートはルールの正当性をルールそれ自体では得ることが出来なくて(つまり承認のルールでは得ることが出来ない)、人々がこのルールはこの二次的ルール(承認のルール)を正当であると人々が承認することによって得ることが出来ると考えました。